20 January, 2012

僕は結婚しています [人生]

僕は結婚しています

昨年の12月13日、僕は奈津美さんという人と結婚しました。僕は奈津美さんのことをなっちゃんと呼んで、なっちゃんは僕のことをあっちゃんと呼んでいます。

なっちゃんとあったのは、このブログがきっかけでした。ブログをみたなっちゃんが僕にメールを送ってくれて、そのお返事を僕が書いて、メールのやりとりがはじまりました。最初に直接あったのは、2人とも観逃していた南極料理人を下高井戸シネマに観にいったときでした。2人の住んでいた町のちょうど真ん中が下高井戸だったのです。

お互い緊張していたのか、2人とも前を向いて映画館に歩いて、その途中、彼女は飴玉を僕にくれました。飴の味はしっかり覚えてないけど、気持ちが軽くなりました。後、きたろうさんの演技にも気持ちが軽くなりました。

その日の夜は、釜飯を食べて、帰りました。帰りの京王線の改札で別れるときに、なっちゃんが何度も振り返って手を振ってくれて、その姿をみている時に、僕はなっちゃんに告白しようと思いました。

実際に行動に移して告白したのは、12月の13 日、矢野顕子さんの里がえるコンサートを一緒に聴きにいった帰り道でした。それを言うのはとても怖かったけど、彼女から「お友達から…」と返事が返ってきて、その時に、自分の人生がやっと動き出すんだ、と感じました。その前に人生が動いたのは、大学院の進学を決めたときなので、10年ぶりのことです。

それから、2年後の12月13日に、僕はなっちゃんと入籍しました。入籍日は僕の勘違いで混乱して大慌てだったけど、素敵な証人に恵まれて、笑顔の結婚写真も撮れました。

今は、京王線仙川で、なっちゃんと金ちゃん(優しい目をしたチワワです)、そして、すぐ近くになっちゃんの相方のさわちゃんと生活しています。昨日のよるご飯は、初めて食べる味のパスタをみんなで作って食べました(僕はバジルをすり鉢で潰しただけだけど)。

これまで、自分の人生には毎日の生活というものがありませんでした。お金はあれば使う。家のことは最小限のことしかしない。1人できままに旅行に出かけたり夜更かししたり。

今、僕はなっちゃんと結婚して、少しずつですが、生活をするようになりました。まだまだ慣れないことが多くて迷惑をかけてばかりだけど、毎日、匍匐前進の様にゆっくり成長しています(多分)。少しだけだけど、スリムにもなりました。

今はまだ慌ただしくてブログも更新できないけど、落ち着いてきたらまた、読んだ本、聴いた音楽、観た映画、街のちょっとした卑猥に見えるものの写真、小さな出来事をみんなに伝えていきたい。

結婚指輪は今作っているところです。もう少し時間がかかるけど、出来上がるのが楽しみです。むずがゆいといってつけていないという人もいるし、すぐに慣れますよって言ってくれる人もいます。どうなるのか分からないけど、毎日指輪をつける生活を考えてわくわくしています。

自分でいうのも変ですが、料理は美味しいし、居心地のいい家です。お近くにお立ち寄りの際には、我が家にも立ち寄ってください。みんなでお迎えします。食事を楽しみながらお話ししましょ。



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 11 December, 2011

皆既月蝕 [日記]

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皆既月蝕を見るためにマンションの人達が駐車場に出て、気がついたら世間話に花が咲いて皆既月蝕のことは忘れている。部屋に戻ってストーブで暖まる。もう一度外に出ると、皆既月蝕は終わり始めていて、とても強い月の光が端の方だけ輝いていて、さっきのは皆既月蝕だったのだと気づく。



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 04 December, 2011

小澤征爾・村上春樹 『小澤征爾さんと、音楽について話をする』 [読書]

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自分が買う本で、かつ世間的にもとてもよく売れている本の
数少ない例が、村上春樹さんの作品だ。
これも、その1冊。

この前の『1Q84』を読んだ時に、
このようなタイプの小説が日本で最も読まれていることに、
とても不思議に感じたのを覚えている。作品の前半は、
確かに謎解きの要素もあるしサスペンス要素もあるしで大衆的だけど、
伏線は明確に回収されないし、話も段々抽象的で概念的になっていく。
作者の意志はともかく、本格的に読み込もうとすれば、
リテラシーや多くの知識が必要になる作品だったと思う
(というのは、僕は本格的に読み込まなかったので)。

この小澤征爾さんとの1冊も、やはり実際にベストセラーになるのだろうけど、
読者の中に2人の話すクラシック音楽に関する知識を、
「ふむふむそうだよな」とシンパシーを持って読める人は
そんなに多くないような気がする。いや、ほとんどいないんじゃないか。

どのページを開いても、その例はみつかる。
例えば194ページで村上さんが「ブルーノ・ワルターが亡命する直前に、
一九三八年にウィーンでやった九番も聴いたけど、
ワルターもメンゲルベルクもとにかく音が古い、というのが印象です」
と話しているけど、これを読んで「確かに音が古いよなー」と思えるのは、
ほんの一握りである気がする。それとも、僕は極端にクラシック音楽の知識が乏しいのか。

それでも読ませるのが、村上春樹さんの文章のパワーであるように思う。
ジャズの知識にしてもクラシック音楽の知識にしても、
村上さんの中に含まれていた物語にしても、
それを語る言葉によって、人の心をつかみ、「知ってみたい」と思わせる。
それは、アマチュアの物書きにはできない技術なのではないだろうか。

講義などの仕事で、自分の調べたことや過去に誰かが調べたことを紹介する時に、
自分自身がそれらから得た知識そのものや感動を伝えられず、もどかしい思いをすることが多い。
だからこそ、この1冊の2人の言葉を読んだ後の今、
自分の文章を書く力を鍛え直さなくてはいけないと、改めて思っている。



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 09 November, 2011

Kido Yoji – Call A Romance [音楽]

自分はこういう感じの曲が好きなんだなー、としみじみと再認識して、そのまま購入してしまった。



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 19 October, 2011

キリ番ゲッター [ブログ関連]

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60000人目の訪問者は、僕でした・・・。
このホームページに最も訪れているのが、僕なのです。



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 17 October, 2011

Elvis Costello and Elmo – Monster Went and Ate My Red 2 [音楽]

改めて、自分がコステロのファンだとしみじみ実感しました。
いい感じに年をとっているなー。



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一日ありがとう [日記]

昨日は、授業やら発表やらの準備で祝える雰囲気でなかった、
誕生日を彼女に祝ってもらいました。
上野にご飯を食べに行って(目的はちょっと違うけど)、
座席について、少しして貰ったのが、財布でした。

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僕が、明るい色合いの製品が苦手なので、
身につける物が地味すぎるものに走ってしまう傾向(自分でもよく思っていない)を、
分かっていてくれているのだな、と思いました。
それに、よくバッグの中に小銭をぶちまけてみっともなかったところなど・・・。
今、自分の事を本当によく見ていてくれている人だと、
(「今更実感してるんじゃねーよ」と周りから言われそうだけど)実感しました。

その後は僕が観たいといった『一命』へ。
瑛太さんのあんなシーンやこんなシーンも含めて、
結構観るのもつらかっただろうに、一シーン一シーンに汗をかきながら、
一緒に付き合ってくれてくれたことに、感謝していました。
でも、いい映画だったね。あれだけすっきりしなくて素晴らしい殺陣はみたことないです。

公開の場所で感謝することでもないかもしれないけど、
それが昨日の日記でした。



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 10 October, 2011

すすきが供えられていた [日記]

世田谷通りは交通事故が多いのか、
道路の脇のガードレールに括り付けた瓶に花が供えられていることがある。
環状七号線と世田谷通りの交差点は特に事故が多く、
供えられていた花も瓶も除かれたと思ったら、新しい瓶が置かれていることもある。

ここ数ヶ月、環状七号線を横切ろうとすると、
いつも瓶に花が供えられているのが目についた。
目につくのは、供えられる花のことを意識しているということもあるけれど、
今供えられている花が枯らされているのを、
まだ一度も目にしたことがないというのが理由だ。

目撃者を捜す立て看板も設置されていたので、
目撃者の記憶を喚起する役割もあったのかもしれないけど、
もう、すでに看板は撤去されている(目撃者がみつかったのかはわからない)。
だから、花が供えられるのは、遺された人の慰霊の気持ちによるものだろう。

この答えは見つからないし、他人が口を挟むことでは決してないけれど、
花を見る度に、花を供えた人の、「終わっていない」という気持ちが想像された。
事故の事を乗り越えて、自分の生活を取り戻されればと、
勝手に(本当に勝手なのだけど)、考えていた。

でも、今日、すすきが供えられていたのをみて、考えが変わった。
この遺族は、ひょっとしたら、他界した人に、
本来だったら肌や目や耳で感じることの出来た
四季の移り変わりを、感じさせようと考えているのではないかと思った。
供えられるのは花で、花は季節をうつす。

死者は死者になった時点で、我々の世界から切り離されてしまう。
だから、花を供えるのも、冥福を祈るのも、お祭りするのも、
生きている者の自己満足に過ぎない。
だけど、このように、死者が季節を楽しんだり、
あの世でも楽しく暮らしていることを想像する生き物が、
果たしてこの宇宙にどれだけ存在するのだろうか?
ひょっとしたら、我々だけなんじゃないだろうか、と思う。

雲をみてドーナツを思い浮かべたり、
湿気た壁をみて不安な気持ちになったり、
スーパーの袋を猫と勘違いしたり、くしゃみと噂とか、
死者があの世で楽しい生活を送っていると想像したりする。
人間は解釈を加える生き物と定義してもいいんじゃないか、と思う。

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 02 October, 2011

歩け [日記]

借りてたまっていた本を返しに、世田谷中央図書館に行ってきた。
小学生の頃、学校でプラネタリウムにいったのが最初の訪問で、
小泉公園よりも遠く、駒沢中学校よりも遠く、小松菜を取りに行った畑よりも遠く、
当時の狭い世界が全てだった自分には遠い場所だった。今もなかなか狭い世界に住んでいるけど。

だから、行くときはバスを使う。ここ10年くらいは、自転車で行く。
だけど、今日は徒歩で行ってみた。
理由は、健康を気にしているからかも知れないけど、
時間をかけて行ってみようと思ったこともあると思う。
(自分の決定すら優柔不断だ…!)

歩くと、色々なものがおもしろい。
雲の形とか、ポスターとか、こっちに歩いてくる人の
シャツの柄や、自分の背筋の曲がり方まで。
図書館で借りる本をどれにしようかと、一人会議を開いたりする。
まるで、足で踏んで動かすミシンのように、歩くことで脳が活動しているように感じる。

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歩いている間に、アルバムを1枚聴き終えることが出来る。
今日聴いていたのは、スチャダラパーの「WILD FANCY ALLIANCE」で、
歩いている間の僕の心境にぴったりの曲があった。


ヒマ人どもよ立ち上がるときだ ヒマを見つけて ヒマを知れ ヒマを生き抜く強さを持て
一生 棒にふるくらいの ヒマとゆとりを持って進もう
人の数だけヒマはあるのだ それこそあたりまえの事なのだ

すごい。

自転車やバスや電車に乗って、急な用事でお金があるときはタクシーに乗って、
手に入れることの出来る時間と、そうではなくて徒歩で得られるものは、
ひょっとしたら、その価値は大して違わないんじゃないかって思ったりする。
また、極端だと言われてしまうかも知れないけれど。



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 25 September, 2011

ニホンなのかニッポンなのか [日記]

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自分のパソコンの中で発掘をしてたら、
大学時代にゼミで最初に書いたものがでてきた。

平安時代の日本は、「Nitu’nfon」と発音されていたんですよ。
「Nitu’nfon」を実際にどう読むかは、会ったときに実演しますね。



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